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"1969年2月12日、ヤマハのテストコースでトヨタとヤマハの共同開発によって生み出された「トヨタ7」でテスト走行していた福沢幸雄は、謎の事故死を遂げた。 彼が運転する「トヨタ7」は直線の「高速テスト区間..."

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“1969年2月12日、ヤマハのテストコースでトヨタとヤマハの共同開発によって生み出された「トヨタ7」でテスト走行していた福沢幸雄は、謎の事故死を遂げた。
彼が運転する「トヨタ7」は直線の「高速テスト区間」を通過したあとに突然安定性を失い、直線でハーフスピンするという信じがたい挙動を起こし、路面に濃いタイヤのスリップ痕を残してコースを外れ、コース脇に設置されていた標識の支柱に激突炎上した。
死因はクラッシュによる脳挫傷と発表されたが、司法解剖で確認されたわけではなく、クルマが20分間燃えた末の焼死ではないかとの疑いも残されている。
なぜなら、トヨタ関係者が消火に駆けつけた地元消防団員が現場に向かうのを阻止し、一切の消火活動を封じてしまったのだ。20分もの間、燃え盛る炎をトヨタ関係者は消そうともせずに放置していた。福沢幸雄がその炎に包まれているというのにだ。
トヨタは警察の現場検証に対してさえも「企業秘密保持」との表向きの理由から、事故車両を早々と撤収し証拠隠蔽を図った。事故にまつわる証拠品はすべてトヨタが持ち去っており、現場検証するはずの静岡県警袋井警察署は写真撮影さえしなかった。さらにトヨタは証拠資料として事故車両とは全く違うタイプのレーシングカーの写真を提供したり、また事故原因については、「車両側ではなくドライバー福沢幸雄に非がある」と主張するなど、一方的で大変杜撰な対応であった。”

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殺人マシン・トヨタ7 福澤幸雄に何が起きたのか?: 反米嫌日戦線「狼」(反共有理)

トヨタ…

(via tnoma)


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