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"ニッセンが、今の通販事業を始めたのは1970(昭和45)年4月でした。 もともとは京都で着物の染色を行う日本捺染(京都市)というメーカーの商事部で始めたものでした。そこを分離し、株式会社日本染芸を資本..."

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ニッセンが、今の通販事業を始めたのは1970(昭和45)年4月でした。

もともとは京都で着物の染色を行う日本捺染(京都市)というメーカーの商事部で始めたものでした。そこを分離し、株式会社日本染芸を資本金200万円で設立したのが、その年でした。京都の本社と秋田営業所でカタログによる呉服の販売を始めたのが第一歩です。

日本捺染は染色メーカーと言っても、自分たちが作った製品を自分で好きなように売れない、といった問屋さんからのきつい制約を受けていました。当時を知るある幹部社員は、次のように話しています。

「いい品物を作っても問屋さんに気に入ってもらえないと、自分たちで値段を決めることどころか、売ってもらうことさえ出来なかったのです」

もっと高く売れるはずだと思っている商品でも、「値段はウチが決める」という問屋の前には言いなりになるしかなかったのです。

それだけではありません。

本当は20代、30代の年代の人たちに売りたいのに、問屋さんは50代、60代の人たちに売ろうとしたり、仕立て上がりを展示して、丁寧に説明しながら売って欲しいのに、反物で売ろうとする。さらにいろんな販売店でたくさんの人たちに買ってもらいたいと思っても、「勝手に売ったら、これからは日本捺染の製品は扱わないからね」と脅されるほどだったといいます。

このままでは売りたいものを自由に売るといった、商売人として基本的なことができない。せっかくいい物を作っても、本当に買ってもらいたい人の手に届けることができないい。そんな歯痒い時代が続きました。

そのような時、飛び込んで来たのが浜松市に本社を置くムトウ衣料という会社が、全国の婦人団体を対象に衣料品の直接販売を行って実績を上げている情報でした。しかも会員の主婦にチラシを回覧して、羽織の大量注文を得ているというのです。

「今の我々の悩みを解決してくれるのはこれしかない」と、立ち上がった創業者の故川島会長は、すでに欧米では一大市場を形成していた通信販売に乗り出すことにしました。カタログ販売で「自分たちの商品を自分で売ろう」と決心したのでした。でも取引先もなく、どこで、どのようにして売ったらいいのか、さっぱりわかりません。

手探りの状態でのスタートでしたが、ふと頭に浮かんだのが、全国に13万件あると言われていた美容院にカタログを置いてもらい、顧客に勧めてもらうという方法だったと言います。これなら自分たちの商品を思う存分に、お客様に届けることが出来る、と社内は沸き立ったといいます。

これが”ニッセン”の始まりでした。



- 第51話 おかげさまで、ニッセンは35周年 - 線客万来 (via tiga)

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