三戸 祐子
価格: ¥620 (税込)
新潮社(2005/04)
本書は、私たちが当たり前だと思っている、時計のように正確な日本の鉄道の運行が、世界的には極めて特殊なものであること、そして、どうしてこのような運行をするようになったのか、この正確さはどのようにして生み出されるのか、を鉄道マニアではない著者の一歩引いた視点から分析したものです。
多くの日本人は、鉄道は時間通りに運行されるもの、という認識を持っていて、都市部の人は5分遅れただけで駅員に食って掛かり、田舎では汽車が通る時間を時計代わりにしています。しかし、この「時計のような正確さ」はどこの国の鉄道でも同じわけではありません。
日本の鉄道では、一列車当たりの遅れは平均1分以下に収まっているのに対し、フランスのTGVでは、「遅れ」とは14分以上遅れたものを指し、イタリアの普通列車では15分以上、イギリスのインターシティでは10分からが「遅れ」になるということです。つまり、運行を秒単位で捉えるか分単位で捉えるかくらいの発想の違いがあるのだということです(これが途上国では時間単位とかになり、珍しく定刻に到着かと思ったら前日につくはずの列車だったという笑い話もありますが。)。
では、このような正確さは何に由来するものなのでしょうか? 多くの人は「日本人は昔から几帳面だから」と答えるかもしれません。しかし、本書は、このような国民性の問題だけでは説明がつかないことを解説しています。明治政府が鉄道を導入する以前から整っていた環境として、時鐘による時間感覚や、参勤交代という大規模移動プロジェクトをつつがなく実行する能力の高さ(なんと参勤交代の旅程ダイヤグラムまで考案されていた)、人が歩ける距離で鈴生りに発展した都市、そして築城技術にルーツを持つ土木技術などが整っていた点が指摘されています。
そして、日本の鉄道を正確にしたキーマンと言うべき人物も存在し、明治期の鉄道国有化の時に国鉄入りした「運転の神様」と呼ばれる結城弘毅氏が知られています。結城氏はそれまで30分遅れるのが当たり前だった長野管内の列車を、機関手とともに沿線の目印の設定や石炭のくべ方などを研究し、ついに正確運転を達成します。この運動は全国の機関庫に広がり、ついに日本中の列車が正確運転に成功します。トヨタ自動車における大野耐一氏の存在を想像させます。
また、関東大震災をきっかけに、住宅が都市郊外に広がり、輸送力の増強が急務になり、大量の乗客を「捌く」ために、同じ車両を使いまわす正確な運行が必要になったことが解説されています。駅の停車時間を短くするための乗車テクニックや駅の構造など、大都市と鉄道が二人三脚で発展していた過程は、日本の鉄道の正確さは、鉄道だけの要因だけでなく乗客や都市の構造と相互依存の結果で成り立っていることを教えてくれます。
この他、正確な運行を支えるシステムの解説として、「人車一体」の運転技術(戦争から復員した機関士が電球も切れ計器も見えない真っ暗な運転台で正確な運転をしたエピソード)や、「遅れない鉄道」と「遅れてもすぐに回復する鉄道」という二つの発想、「スジ屋」(ダイヤ作成担当者)の経験とバランス感覚(「カゲスジ」なんて言葉も出てきます。)などが述べられていて、鉄オタでない人の知的好奇心も刺激します。
尼崎の脱線事故をきっかけに、
「日本のダイヤは諸外国に比べて過密すぎる。」
「オーバーランや遅延など日本の鉄道はたるんでいる。」
「JR西日本の組織風土の問題が原因だ。」
などの批判がテレビのコメンテーターを中心に語られ、同じようなことをブログに書く人もたくさんいます。本書は、そもそも日本の鉄道の正確運行の発想自体が外国とは異なること、そして、正確な運行と過密なダイヤを求めているのは鉄道会社を批判している都市住民そのものであること等、色々な論点を整理し、問題をシステムとして大局的に見るきっかけを与えてくれるのではないかと思います。
- 定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?: 戸崎将宏の行政経営百夜百冊 (via petapeta)