前日、タレントの「やしきたかじん」さんが亡くなりました。
たかじんさんの番組には何度も呼んでいただいたので、かなり衝撃でした。
僕にとって、たかじんさんの思い出は、やはり「ガンダム」です。
やしきたかじんさんは、劇場版ガンダム第一作の主題歌『砂の十字架』を歌われました。
しかし、たかじんさんにとっては「しょせんはガキ向けのマンガ映画」だったそうです。
谷村新司作詞の「ライリー、ライリー」というスキャットも気に入らず、監督との打合せでは当時ヒットの頂点にいた富野監督に「ただの歌手扱い」されたのが、
本当に
本当に
ほんと~~~に
口惜しかった! ということでした。
だからどんなにヒットしても、たかじんさんは「砂の十字架」を、ガンダムを認めませんでした。
僕がたかじんさんにガンダムのことを話したのは2007年、『ムハハnoたかじん』(関西テレビ)でした。
たかじんさんは番組中は機嫌良く話を聞いてくれましたが、やはり気が晴れなかったのか収録後、楽屋に挨拶に行ったときに問い詰められました。
「あの監督はいま、なにしてる?」
僕は富野監督のその後を、ガンダムで最大ヒットを飛ばしたけども、それを超える作品を作りたくて、いまだに現場にこだわり抜いている話をしました。
たかじんさんはじっと話を聞いていて
「わかった。もうええ」
と言いました。
「大ヒット出すと、あとが大変やな。そやろ?」
当時、レコーディング・ダイエットでブームを起こして、それで番組に呼ばれた僕です。
その僕の目を見ながら、僕のことのようでもあり、富野監督のことでもあるような口調でした。
「でもな、やっぱり俺はガンダム嫌いや。あの歌はいまでもワケわからんと思う」
楽屋を出るときも、けっきょくたかじんさんに「そうか、ガンダムもエエなぁ。砂の十字架、また歌おかなぁ」と言ってもらうことはできませんでした。
でも「ガンダム? 知らん!」と吐き捨てるように言うのと、
「ガンダムはやっぱり嫌いや」というのでは、なにか違います。
同じようで数ミリ、違うんです。
愛の反対は憎悪ではありません。
愛の反対は無関心であり、無視です。
「知らん」じゃなくて「嫌い」は、僕にとっては小さくても大きな一歩だ、と思いました。
「嫌い」じゃなくて「やっぱり嫌い」というのは、「やっぱり」をつけないと気が済まない「愛憎を超えた、なにか」があるからです。
その「なにか」はきっと、僕やたかじんさんなど、表現するもの誰もが抱える執着やワガママや自負心のようなものだと思います。
やしきたかじんさん、「知らん!」で無視していたガンダムに,向き合ってくれてありがとうございました。
『砂の十字架』を歌ってくれてありがとう。
「それでも真実は 伝わるはずだと」
はい、僕もそう信じます。
だから毎日、メルマガ書いています。
たかじんさんが歌ったように。
”-
これすげえ良い話だと思う。
(via toronei)