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"概要: * 最近の大学生は、ますます計算機を学習することに興味を失ってきている。 * 彼らにとって、パソコンも携帯もPS3も、すでに「あたりまえ」のことである。それの何がすごいの? ..."

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概要:

* 最近の大学生は、ますます計算機を学習することに興味を失ってきている。
* 彼らにとって、パソコンも携帯もPS3も、すでに「あたりまえ」のことである。それの何がすごいの?
* なんとか興味をひこうと教科書をいろいろ見てみたが、 ほとんど「幼稚園のお遊戯」なみの例題か (“クマさんの数をかぞえよう!”など)、 あるいはゲームしか載っていない。
* なんとか彼らの社会的な興味を引きだそうと、あたらしい授業を考え出した。
* その授業とは、障害者をつれてきて学生に会わせ「コンピュータを使って、 彼らの生活を改善してくれ。できなかったら落第。」というものだった。
* 学生たちは、おそろしく熱心に取り組み始めた。
* もはや誰も二次元配列操作を、つまらない例題とみなす人はいなくなった。 なぜなら、それが現実の問題を解くのに使えるということを彼らは知ったからである。

もちろん、この話はあまりに単純化されすぎている。 現実はこんなに甘くない (世の中には、問題を解くつもりで、逆に問題を増やしてしまう人々も沢山いるのだ)。 それでも、この記事には、普段の生活であまりに簡単に忘れられてしまいがちな、 あるひとつの信念が述べられている。それは 「計算機科学は、人の役に立てる」ということだ。 青臭いと言われようが、オレは何度でも言うぞ。 計算機科学は、人の役に立てる。しかも、ものすごく直球なやり方で、である。

もともと、工学というものは最初から社会的な学問だった。 政治や経済と同じくらい社会的だ。しかし、いまの日本で その社会性をきちんと理解している人がどれだけいるだろうか? (新山だってよく理解していない) ところで思うのだけど、みずから医学部や看護学部に (親に行かされるのでなく) 志願して行くような人は、その学問の 「社会性」というものをすこしは認識していそうである。しかし工学部へ、とくに 情報系の分野へ行く連中はどうなのか。ただひたすら「オモチャをいじっているのが楽しい」 だけの人が多いんじゃないか? アホな連中が、やれ facebook だ twitter だ cloud だ、と騒ぐのを見て、 新山が圧倒的に「…どうでもよろ」という気分になってしまうのは、しょうがない。 そんなものは、しょせん「問題のための問題」であって、誰のためにもならないからだ。 練習問題をやっているだけでは世の中は良くならないのである。

まえに Siegel がいっていたように、“工学の女王”である計算機科学は、 未分化な細胞の塊のようなもんだと思う。これは、それ自体では何もできないけど、 方向が定まればどんな形の花でも咲かせることができる — そう新山は信じている。 上の記事にはその見方が明確に示されている。学生に与えられた指令は “Find someone or something in trouble and save it. (何か問題となっている人・モノをみつけて、行ってそれを救いなさい)” というものだ。なんてカッコいいんだろう! 新山はこういう「カッコよさ」に憧れる人は沢山いるだろうと思っている。 将来ほんとうに計算機科学を身につけてほしい人々というのは、 実はこういう社会的な視点をもった人々だ。 C++でアクロバティックなコードを書ける子供などではなく。



- 2009/4 (a)
2009-04-14 (via kechol, chez-sugi) (via noplans) (via otsune) (via oshiire)

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